エヴァ like the brooms of the sorcerer's apprentice (03.08.2021)

公開初日のレイトショーで『シン・エヴァンゲリオン』を観た。この超人気シリーズの映像作品は、わたしの理解では、誰かの複製でしかないキャラクターたちが、変奏はしても複製はしない生のあり方を見つける物語だった。しびれた。エンディングに流れた宇多田ヒカルの曲も、そのような感慨を強化するように聞こえた。

初めてのルーブルは/なんてことはなかったわ/私だけのモナリザ/もうとっくに出会ってたから

出典: One Last Kiss/作曲:宇多田ヒカル 作詞︰宇多田ヒカル

この直後、「私だけのモナリザ」は「あなた」と呼ばれる。彼女は唯一無二の存在である「あなた」と呼ばれる人との愛を歌っている。「あなた」との記憶とその価値を確かめるために、「初めてのルーブル」と比較されている。それは明らかだ。でも、なぜ「私だけのモナリザ」? なんだか、唯一無二の存在であるはずの「あなた」が、「モナリザ」の複製であるようなねじれがあるような気がしないだろうか?もちろん、これは過大に自己を投影した読みである。でも、シン・エヴァンゲリオンを観た後では?One Last Kiss の出だしは、おそらくは宇多田の意図を超えて、エンドロールを眺めるわたしにはそう感じられた。

愛ではないけれど、わたしにも思い入れのある「初めてのルーブル」がある。観たことがないにもかかわらず、ふとしたときに頭のなかでリフレインする映像だ。それは、1940年のディズニー映画『ファンタジア』で、ミッキーマウスが箒に魔法をかける場面だ。この場面はポール・デュカスが作曲した管弦楽魔法使いの弟子』を、ウォルト・ディズニーアダプテーションしたものらしい。ポール・デュカスのことは今ググって知った。Wikipediaは、『魔法使いの弟子』をこう要約している。

見習いは命じられた水汲みの仕事に飽き飽きして、箒に魔法をかけて自分の仕事の身代わりをさせるが、見習いはまだ完全には魔法の訓練を受けていなかった。そのためやがて床一面は水浸しとなってしまい、見習いは魔法を止める呪文が分からないので、自分に箒を止める力がないことを思い知らされる。絶望のあまりに、見習いは鉈で箒を2つに割るが、さらにそれぞれの部分が水汲みを続けていき、かえって速く水で溢れ返ってしまう。もはや洪水のような勢いに手のつけようが無くなったかに見えた瞬間、師匠の魔法使いが戻ってきて、たちまちまじないをかけて急場を救い、弟子を叱り付ける。

出典: Wikipedia

自分が生み出したものが、自分の手を離れ、コントロール不能になり、複製を繰り返し自己増殖し、自身が生み出したものに作り手が飲み込まれる。要するに、大量生産や原子力時代の寓話だ。今だとシンギュラリティが相当するだろう。わたしは偏愛する作家がモチーフとして繰り返し利用していてこの寓話を知った。どうもオリジナルは『ファンタジア』ではないようだけど、その作家が『ファンタジア』のこの場面を描いていたので、『ファンタジア』はわたしのなかで特別なものになっていた。

実際に映画を観たのは数ヶ月前。初めてのファンタジアはなんてことはなかった。期待してたほどではなかったなと思うと思っていた。実際、わたしの記憶からこの寓話の魔力が急速に失われた。でも、『シン・エヴァンゲリオン』のためにエヴァ旧劇を復習していたときに、考えが修正された。それまでわたしはこの寓話を、箒に魔法をかける見習いの視点で見ていたのだ。『ファンタジア』でミッキーマウスが演じていた役だ。しかしエヴァの教えとは、この寓話を、見習いではなく箒の視点から見るよう促すことにあるのではないか。そして『シン・エヴァンゲリオン』の達成とは、旧劇を反復することによってこの箒に複製ではない生のあり方を見出したことにあるのではないか。そんなことを考えてしまった。

このブログは日常の記録であり、目的は文章を書くことそれ自体にある。ライフハックなど持ち合わせていないから、役に立つことは書かないと思う。SNSでバズるような文章も書けないだろう(バズるとは、魔法使いの弟子の箒における水汲みに似ていないだろうか)面白かった映画を、面白かったと書く。二度と読まないだろうけど読んでよかった本を記録する。誰のためでもなく、自分のためですらなく。

エヴァンゲリオンの話から始めたのは、このブログもそうでありたいと思ったからだ。オリジナリティなど何もない、どこにでもいる普通の人間の、どこかで聞いたことのある言葉で書かれる日常の記録。その意味では、ここはどこかのブログの複製に近いものになるかもしれない。でも、魅力的な変奏にもなるのかもしれない。

一方では複製にすぎないことを自覚しつつ、他方では誰かにとって魅力的な変奏になることを期待して、わたしはこの場を「魔法使いの弟子の箒」と呼ぼう。